「富士王」 <おすすめBGM>THE UNIVERSAL <BLUR>

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 最初は犬の散歩もちゃんとやっていたんだけど、元来、父が海外勤務の多い外資系勤めという事もあり効率優先主義で育てられた僕は、というのは嘘で、面倒臭がり屋の僕は自転車に乗ったままでそれをするようになった。自転車を漕げば漕ぐほど富士王はスピ−ドを増し、このまま一生鎖がたるむことなんてないんじゃないかと思うくらい、富士王の体力は凄かった。かえってこの方が互いの都合が良いようにも思えた。自転車なしでの散歩なら富士王はその能力を存分に生かすこともできず、「一日待ってこれかい?」てな気分であろう。散歩は毎日繰り返されたが、依然として僕らは互いの背中に何かの気まずさを残したままだった。確かに、餌を与える前の「おあずけ」や「お座り」はしてくれるのだが、普段の「お手」などは餌なしでは決してしてくなかった。
 自転車散歩を始めて一週間くらい経った頃に、僕は10歳の誕生日を迎えた。朝から街はどことなくにぎやかで、方々から僕のために貢ぎ物を台車に乗せた牛車が僕の住んでいる高台にある真っ白なお城目指して集まってくる訳もなく、昨日と何ら変わりない今日が訪れた。唯一、僕の中での大きな事件は、誕生日プレゼントとして父からもらった変速5段切り替えの自転車だ。当時の中学生がのるような大人びた黒でモダンな自転車だった。子供の成長は速いもので一年で着るのものはもちろん、アイテムも使い物にならなくなる。幸い僕には兄弟がいて長男ということもあり、「オニュウ」は特権だった。馬鹿な弟達は今回もスライド方式で与えられた自転車で盛り上がっている。
 簡単な試運転の後に、僕はさっそく自転車散歩にでかけた。富士王も「少し調子が違うぞ」的な顔を覗かせていた。当たり前だ。5段変速でじゃ。今日こそ、あのにっくき鎖をたるませたる。人間の文明の利器と、だからお前らは家畜という呪縛を逃れられないんじゃと言うことを思い知らせてやる。僕の顔は多分邪気で一杯だったに違いない。悪そうな笑いを浮かべていたことは間違いない。出だしは2段くらいで調子を整え、3段を飛び越え一気に4段にもって行く。富士王はいつものようにたるむことのない鎖をキ−プしている。普段ならめいいっぱの状態の速度でも、今日の僕は冴えていた。いや、まだ余裕があった。普段の現時点なら、富士王が舌を出し体温を調節するのと同様に、口を開けよだれをだらだら流しているはずの僕は、今日ここにはいない。そしてあと1段ある。ここからの直線が勝負だ。僕は5段にギアを入れ、前のめりで加速する。前のめりで加速するのには理由がある。力が入るのは当然なのだが、流線型である。あぁ、なんと響きのいい言葉なんだろう。さも速そうで、さもいつでも最先端な感じのする響き。抵抗の少ないこの形も科学的でわくわくする。50m位走ったところで富士王が振り返った。僕の状態を確かめたかったからだろう。「バカが」。心の中でそうつぶやき、不適な笑みを返す。富士王の顔面が蒼白になっていく。言い過ぎた。蒼白になっていくように見えた。その瞬間、あの鎖が、棒のようにピンとはったままの憎い鎖がゆるんだのである。ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ル!僕は歓喜し帽子をだれもいない会場に向かって振り回し、富士王は失意の中失速していく。あまりの気持ち良さに当時サッカ−少年だった僕は今度は声にして言ってみる。ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ル!富士王がようやく僕にとっての犬らしい顔をしてきたように感じたその瞬間、マズイ事態が僕の身に降りかかった。(Page.3へ続く)

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