「ペリ-来航」 <おすすめBGM>the private psychedelic reel/The Chemical Brothers (dig your own hole)
 国際化が叫ばれる中で、とは言っても『コクサイカー』などと言ってる奴はいませんが......................(さぶーい)、日本人はどうもガイジン(死語?差別用語?)と見ただけで、ビビってしまう。ヴィヴィドきてたらそれはそれで怖いが。外人は愚か、対人恐怖症なんて言ってるのはもっと質が悪い。もし、青い唐辛子をふんだんに使った辛い料理や、安い米、サバティーカップ、カップクンマーマーなんて言葉に敏感に反応してたら、それはタイ人恐怖症..............................(つまんねー)。
 んで、外人、特に白人に対して何故僕等は恐怖や訳の解らぬ負い目や、時に憧れのようなものを感じるのかは、島国であり、単一民族であり、鎖国を経て今日に至る日本人にとって、肌や目の色が違う異民族くん達と仲良くすることはまさに、ゴリラやチューバッカと仲良くしろと言うもので、クソムツゴロウや、大道具から大抜擢された素敵な王子様ハリソン・フォードなみに付き合えるようになるには、時間を要するんだと最近まで思ってました。考えていました。木暮二等兵考えておりましたーっ!!
 しかし、それらと別の所ではっきりした答えがつい最近見つかったのです。それは歩行の仕方にあったのです。平たく言えば歩き方、もっと崩せば「あんよが上手、いっちに、いっちに」であります。開国寸前の日本人の歩き方は、右足と右手、左足と左手を同時に交互に出すものだったという常識を覆えす推論が発表されたのです。今の僕等がそんな奴を見たら「きんちょーしてら」と笑ってしまう歩き方を何の疑いもなしに幕末まで先祖はしてたと言うのだから本当に笑うしかない。そのことを裏付ける根拠として、当時かかれた風景画をもちだしていたが、そこに描かれた町人の描写はまさに「緊張バカ」そのもであった。疑う余地なし。
 でも、これを聞かされた時、僕は妙にホッとした。外人に対してのコンプレックスは黒船から始まったのである。どう考えても左右交互に出したほうが歩き易いし、速い。誰がはじめたかは知らないが、すんげーバカである。様々な文化と共に流れ込んで「ハイカラ歩行」とか「鹿鳴館ウォーク」と名付けられたかどうかは知らないが、敗北感は味わったに違いない。遺伝子情報として僕等に負い目や憧れや、恐怖を祖先は残したのだから、相当なショックだったのだろう。祖先はバカだった。..................『死んだもんの悪口は言うもんじゃないよ』BY志村けん

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作:Grecoviche