「おばあちゃん」
 私はいわゆるおばあちゃんに縁があるというか、よく話し掛けられる。多分年齢に合わない童顔のせいではないかと思うのだが、どこにいても良く話し掛けられる。ごく日常的な話題がほとんどであり、返答に窮するようなことはほとんどないため、話はズルズルと長引いてしまい、やろうとしていたことを断念することもしばしばである。
 昔はさておき、現在の日本ではおばあちゃんの見られない場所はほとんどないといっても過言ではない。レストラン、コンビニは言うに及ばず、アミューズメントパーク、パチンコ屋にまで出没するのだ。とにかくエネルギッシュでみんなかくしゃくとしていて、横断歩道を渡るのが危険なくらいヨボヨボなのはジイサンしかいない。
 私にもかつておばあちゃんがいた。うちの家系は日本人の平均と比較して、総じて女は長命であったので、高校生くらいまでおばあちゃんは健在で、家のなかに確固たる地位を築いていた。和装以外の姿をほとんど見たことがなく、全身これ日本人といった感じがあった。孫にとっておばあちゃんは小遣いに困ったときの神様のようなものである。肩たたき\500/30分なんて今考えてもいいバイトだ。今でもその感触はよく覚えている。少し皺の寄ってしみのある肩と乏しくなった鬢をこぎれいに丸めている後姿を見つめながら、細めの肩をたたいたものだ。しかし当たり前のことなのだが、家族として一緒に暮らしている場合には話題が尽きるのも早く、単純労働後は早く話しを済ませるようにしていた。決して軽視されているわけではないが、話し相手・相談相手には不足気味あるいは持て余し気味な存在、それがおばあちゃんであった。
 やはり不満なのであろうか、世のおばあちゃんは町のあちこちで井戸端会議を開いている。その延長でどこか自分の話を聞いてくれそうな若人には即アタックアタックアタック!!。間断なく行われるアタックに時間稼ぎのレシーブでしか対処できない状況に陥りながらも、しょうがないな・・・と思ってしまう。誰にでも似たような経験の一つや二つあるんじゃなかろうか?おばあちゃんのコトバには拒否できない不思議なチカラがあるようだ。おばあちゃんというのは男性・女性というワクを超えた不思議な存在のように思える。独特の香り、奇妙なやさしさと気軽に話せる雰囲気がある。そして幼少期にそんなおばあちゃんと密接に関係をもったわたしはやっぱりおばあちゃん子である。
 さてさて、最近我が家に新たにおじいちゃんとおばあちゃんができた。新米おじいちゃんとおばあちゃんは孫の人格にどんな影響を与えるのだろうか?できるだけ多くの影響を与えて欲しいと切に願う今日この頃である。

ご意見、ご感想はこちらへ!! 

作:shun