「種族と個」
 学生の頃何を考えて生きていたか?実際のところ何も考えてはいなかった、 いや今でも何も考えていないと思う。義務教育までは毎日何かしら与えられる 課題をこなすのに忙しく疑問もなかった。結局これは「義務教育」であり、考える必要がないと感じていたのかもしれない。その後自分で選択した教育ルートに従ってなんとなく大学まで進学してしまったのだが、問題はこの「なんとなく」だ。
 学校というものは偏狭な集団生活である。特に高校以降はほとんどがテストの点数による「学力」というもので振り分けられた集団であり、個人の興味ある 分野・事象等の違いはあるにも関わらず周囲の反応というか流れといったものは 厳然として存在し、そのチカラは半端ではない。集団から逸脱するということは とても難しい。孤独・不安感が大きい、優越感など微塵もない。そして社会に出ても集団が若干大きくなる程度で基本的には何も変わらない。そんな社会でトラブルなく安定して生活していくには人生にあまり疑問を感じず ひたすらに生きていくことが生物的には正しいように思われる。この考えに従えば、「なんとなく」生きていくのは生物として正しい生き方なのかもしれない。
 現在の人間社会は集団として安定しているかと問われれば、違うとしか答えられない。 同種族間で生命に関わる争いが起きているのは人間族だけだからだ。生物が「個」を滅して集団を形成するのは種族を維持するのに都合がよいからで それは実に機能的である。それは種族としての知恵であり、そういった集団維持力は 人間社会においては「常識」というコトバに置き換えられるかもしれない。しかし、現在は「個」を尊重する傾向がある。それは種族維持の点では異端であるといえる。そして そんな「個」が尊重されるが故に、現在は自己の存在理由を必要とする時代だとも言えてしまうのだ。
 また、人間と他の生物を隔絶するものに文明の発達がある。それは一体何をもたらして きただろうか?たしかに自然界への影響力は大きくなり、またここ何百年かのことでは あるが、個体数は非常に増大した。しかし、はたして種族として成功したのだろうか?
  一番の問題はそんなことも考えずにこの「個」が尊重される時代に「何も考えずになんとなく」 生きてしまうことだ。大事なことは自分で考えて納得して生きることだ。そのうえで・・・・・「種族」と「個」あなたならどちらを選択する?

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作:shun