「最終の映画館」 <おすすめBGM>Foever Friends by REEMEDIOS(打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?サントラ収録)

Page.1

 父が亡くなって3か月が経とうとしている。映画が好きな父は、毎週のように僕を「最終の映画館」へ連れて行ってくれた。仕事が終わってから連れて行ってくれるもんだから、いつも「最終の映画館」だった訳だ。次の日の学校を気遣ってか土曜日が「最終の映画館」の日だったが、翌日のサッカーの練習を眠くて3年間さぼったことは父は最後まで知らなかっただろう。日曜日のサッカーは試合や遠征が多かった。だから僕はいつまでたってもちゃんとした試合に出たことがなく、いつまでたっても上達しなかった。それでも、僕は土曜日の「最終の映画館」が楽しみだった。
 「最終の映画館」にやってくる人々は、大抵アベックか酔いどれオヤジがちらほらで子供なんていつだって僕ぐらいしかいなかった。それ自体興奮を覚えたが、そんな中でスーツをビッと着こなした父が横にいる…子供心にどんなに鼻がたかかったことか今でもしっかり覚えている。どんな映画も僕等は最前列で観た。僕が誘ったからだ。父も迫力があると言ってくれてたが、そんなはずはない。最前列の映画ほど疲れるものはないのだから。平日は遅くて顔を合わすことは無く、日曜日は眠ってばかりの父は週に一度の僕との“対話“に、今思うと合わせていたんだと思う。ギャラクティカ、未知との遭遇、戦国自衛隊、地獄の黙示録、007、スターウォーズ、二百三高地、ミスター・ブー、エレファントマン……。観終わる頃には撲は、すっかりなりきっていた。映画の主人公にだ。スパイものを観たなら、上着の襟を立て階段を壁づたいに音を立てずに歩いたり、そういうことだ。僕がまだ子供だったからではなく、多分遺伝らしい。いつだったか、スーパーマンを観終わって劇場を出る際に、 僕等は両手を広げて空を飛ぶポーズを同時にした。打ち合わせたかのように本当、同時だった。僕もそうだけど、父もきっと空を飛べる気がしたに違いない。
 「最終の映画館」を後にした僕等は、父の行き付けの店で食事をしながらその日観た映画の話しをするのが常であった。友達はもうきっと寝ているこんな真夜中に、撲は大人の世界で大人達がそうするように食事をしながらその日観た映画の話しをしている。マスターはいつでも機嫌がよく、週末息子とこうして食事が出来るなんていい父さんを持ったもんだと言い、父は照れ笑いを浮かべ、女店員はパパとママのどっちが好きかといったような愚問を僕に投げかける。「最終の映画館」の日は興奮の連続だ。この時間起きている同じ年の子供が世界中に何人くらいいるのだろうと考えるだけでワクワクしたものだ。もちろん、時差があるなんて当時のの僕には到底知るよしもなかった。いつかキャノンボール2を観終わった後で、僕は当時かぶれていたジャッキー・チェンがなんであんなクソオヤジ(ピーター・フォンダ)に負けたんだと熱くなって話したことがあった。父はそのクソオヤジこそが一番だと言った。クソオヤジの他の出演作を知らない僕にとって父の言葉は暴言にしか思えなかったが、数年後、そのクソオヤジが日本の映画の主演に選ばれ連日TVでクソオヤジの話題が取りされた時、父の言った事がまんざらでもない事だと知った。(Page.2へ続く)

<<<<TOP                  NEXT>>>>